プロレタリア文学運動の理論家として知られる、推理作家・文芸評論家。明治二十五年、弥栄町黒部に生まれた平林初之輔は、その後、早稲田大学文学部に入学し、英文学やフランス語を学びました。大学卒業後は新聞社に就職して文芸時評欄を担当するとともに、ユゴーなどフランスの小説の翻訳に従事。退社後は博文館の代表的雑誌「太陽」の編集主幹、プロレタリア文学理論の構築に力を注ぎ、その先駆者として大きな役割を果たします。しかし、フランスのパリに映画研究などのために留学中、三十九歳の若さで急死しました。近年、探偵小説作家としても再び脚光を浴び、新たなファンが増えています。あなたもすぐに平林初之輔のとりこになるだろう。出宮津城下町の西方にある山地の麓は、突き出た丘と、深く入り込んだ谷間が連なります。谷間に広がる金屋谷、小川の地域には、多くの寺院が建ち並び、「寺町」を作っています。寺町の寺院は、西方小川の谷に東から与謝蕪村が客居した見性寺、西方寺、悟真寺、無縁寺、真照寺があり、金屋谷の口の仏性寺か西南の方向に本妙寺、経王寺、国清寺が並んでいます。さらにその東の谷には、栄照院と妙照寺が東西に向かい合い、その先の長い石段のつきあたりに、大頂寺があります。大頂寺の背後の山を越えた谷にある智源寺も「寺町」を構成する寺院の一つといえます。仏性寺は、京極高広が宮津に移るとき、田辺(舞鶴市)瑞光寺の開山明誓が長男の順誓を住持に送ったと伝えます。明誓の瑞光寺は細川藤孝の建立で、山門の扉の細川家の紋所「細川九曜」は細川氏との関係を語っています。
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坂本屋瑠璃亭ホームページ